【チャイコフスキーとシベリウスの生い立ち】 ●第5回 

 

母マリアはシベリウスとその2歳上の姉リンダとの幼子をかかえ、更に第三子クリスティアンを身ごもっていた。こういった状況の中でシベリウス一家は、同じハメーンリンナにある母方の実家で暮らさなければならなくなった。

 

祖母カタリーナ・ボルィは牧師の未亡人で大変厳格であった。また、叔母も厳しかった。母マリアの妹ユリアはシベリウスにピアノの手ほどきをしたが、彼の不熱心な態度にいら立ち、ミスタッチの指を毛糸の編み棒で叩くとういものだった。シベリウスも運指の訓練などを嫌って、ピアノで好きなように即興演奏を楽しむことが多かった。スムーズな育て方ではなかったかもしれないが、母方のボルィ家では、幼い子供たちを連れたマリアが未亡人となり、その将来に強い責任を感じていたのだろう。


一方、夏場にはヘルシンキから東に70キロ程離れた港町ロヴィーサにある父方の叔母エヴェリーナの許で過ごした。こちらでは対照的に自由で優雅な環境であり、ここでもピアノを習った。エヴェリーナにしてみれば、シベリウスらの幼い子供たちは亡き兄の遺児であり、かわいがったのに違いない。

次記事≫ ●第6回 フィンランド語系の学校へ転入 〜カレワラを学ぶ〜

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【チャイコフスキーとシベリウスの生い立ち】 

はじめに

●第1回 チャイコフスキーの幼少期 〜趣味音楽をたしなむ父母、家庭教師の影響〜

●第2回 法律学校で学びながらピアノに向かう 〜母の死、そして、音楽の潤い〜

●第3回 脱サラして音楽の道へ 〜熱心に学び、活動をスタート〜

●第4回 音楽愛好家一族に生まれたシベリウス

●第5回 厳格な母方の環境、自由な父方の環境

●第6回 フィンランド語系の学校へ転入 〜カレワラを学ぶ〜

●第7回 シベリウスの音楽的興味 〜ヴァイオリン奏者を目指す〜

●第8回 新設音楽院では優等生のシベリウス

●第9回 留学地ヨーロッパでのシベリウス

●第10回 チャイコフスキーとシベリウスの特徴

●第11回 勤勉なチャイコフスキー

●第12回 好きな事に熱中するシベリウス

【チャイコフスキーとシベリウスの生い立ち】 ●第4回

 

シベリウスについても作曲家として身を立てるまでの生い立ちをみてみたい。モーツァルトやベートーヴェンは職業音楽家の家系であり、音楽の早期教育を受け、物心の付く前から相当な訓練を受けてきた。その点、チャイコフスキーやシベリウスの幼少期は、あくまでも文化教養の一環として他の習い事と同じように音楽の稽古をしていたに過ぎない。


19世紀のフィンランドでは急速に音楽が広まり、アマチュアの音楽活動も盛んに行われるようになった。シベリウスの両親の家系も皆何らかの形で楽器または声楽をたしなんでいて、この時代のフィンランドの典型的な音楽愛好家の一族だった。


1865年、ジャン・シベリウスはハメーンリンナで生まれた。ハメーンリンナは首都ヘルシンキから北西に90キロ程離れたところにある。

 

シベリウスの父クリスティアンはこのハメーンリンナで医者をしていた。彼は学生の時に学生合唱団で歌っていたこともあり、リュートの弾き歌いを趣味としていた。だが、この父は47歳の若さでこの世を去った。職業柄多くの病人と接している父クリスティアンは、伝染病のチフスにかかってしまったのだ。

 

シベリウスの母マリアは大変な苦労を強いられた。というのは一家の大黒柱を失っただけではなく、クリスティアンが莫大な借金を残して逝ってしまったからである。自分の財力を考慮しない贅の尽くし方、度を越した飲酒など、父クリスティアンはまるで後年のシベリウスの姿とそっくりだった。

 

ただ、当時2歳半でしかなかったシベリウスには、この父の記憶はほとんど残っていない。

 

次記事≫ ●第5回 厳格な母方の環境、自由な父方の環境

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【チャイコフスキーとシベリウスの生い立ち】 

はじめに

●第1回 チャイコフスキーの幼少期 〜趣味音楽をたしなむ父母、家庭教師の影響〜

●第2回 法律学校で学びながらピアノに向かう 〜母の死、そして、音楽の潤い〜

●第3回 脱サラして音楽の道へ 〜熱心に学び、活動をスタート〜

●第4回 音楽愛好家一族に生まれたシベリウス

●第5回 厳格な母方の環境、自由な父方の環境

●第6回 フィンランド語系の学校へ転入 〜カレワラを学ぶ〜

●第7回 シベリウスの音楽的興味 〜ヴァイオリン奏者を目指す〜

●第8回 新設音楽院では優等生のシベリウス

●第9回 留学地ヨーロッパでのシベリウス

●第10回 チャイコフスキーとシベリウスの特徴

●第11回 勤勉なチャイコフスキー

●第12回 好きな事に熱中するシベリウス

 

【チャイコフスキーとシベリウスの生い立ち】 第3回

 

1859年には法学部の全課程を終え、法務省に事務官として勤務を始める。しかし、こうして社会人になってすぐに勤務の傍らでロシア音楽協会付属の音楽教室に通い始める。この音楽教室は1862年にペテルブルグ音楽院となった。チャイコフスキーが音楽院に通い始めた頃は、法務省の勤務にも時間を取られ、あまり熱心な学生ではなかったのだが、1863年にとうとう法務省を辞職し、音楽に没頭した。チャイコフスキーが音楽家になることを父イリヤは早くから理解を示してくれたが、他の家族は喜ばなかった。

 

画像:ペテルブルグ音楽院

(サンクト)ペテルブルグ音楽院


音楽院では作曲家でピアニストのアントン・ルービンシテインのクラスで学んだ。その当初、彼は他の優秀な学生に比べ、専門家としての音楽理論やクラシック作品の知識がかなり貧弱であった。しかし、脱サラまでした彼は、根気よく音楽の習得に努めた。音楽院での親友ラロシは、「アントン・ルービンシテイン教授が学生に与える課題は膨大で、多くの学生がやり遂げようと試みなかったが、チャイコフスキーは時間を費やし仕上げてきていた。」と証言している。またある時は、与えられた主題の変奏曲を作曲する宿題で、200余りもの変奏曲を仕上げて提出して、さすがに教育熱心なアントン・ルービンシュテインも、喜びの反面辟易してしまったこともあった。このように常に熱心な勉強家であり、この訓練を経て作曲家になった。


チャイコフスキーは卒業と同時にアントン・ルービンシテインの弟ニコライからの誘いで新設モスクワ音楽院の音楽理論の講師を務める。ニコライ・ルービンシテインはピアニストかつ指揮者であり、駆け出しの彼を良くサポートした人物である。また、彼は、チャイコフスキーの中期までの作品で初演指揮を数多く果たした。こうして作曲家としての活動をスタートさせていった。

 

次記事≫ ●第4回 音楽愛好家一族に生まれたシベリウス

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【チャイコフスキーとシベリウスの生い立ち】 

はじめに

●第1回 チャイコフスキーの幼少期 〜趣味音楽をたしなむ父母、家庭教師の影響〜

●第2回 法律学校で学びながらピアノに向かう 〜母の死、そして、音楽の潤い〜

●第3回 脱サラして音楽の道へ 〜熱心に学び、活動をスタート〜

●第4回 音楽愛好家一族に生まれたシベリウス

●第5回 厳格な母方の環境、自由な父方の環境

●第6回 フィンランド語系の学校へ転入 〜カレワラを学ぶ〜

●第7回 シベリウスの音楽的興味 〜ヴァイオリン奏者を目指す〜

●第8回 新設音楽院では優等生のシベリウス

●第9回 留学地ヨーロッパでのシベリウス

●第10回 チャイコフスキーとシベリウスの特徴

●第11回 勤勉なチャイコフスキー

●第12回 好きな事に熱中するシベリウス

【チャイコフスキーとシベリウスの生い立ち】 第2回

 

1850年、チャイコフスキーは母アレクサンドラに連れられてグリンカのオペラ「皇帝に捧げた命(イワン・スサーニン)」の上演を観に行った。この公演は当時10歳だったチャイコフスキーに生涯忘れることのできない感動を与え、40年以上経ってからも、ある編集者との対談でこの作品に対する愛敬の気持ちを強く語ったという。すでに学齢期を迎えていたチャイコフスキーは、このオペラ鑑賞の数週間後にペテルブルグ法律学校に入学した。


ペテルブルグ法律学校は寄宿舎での生活となり家族とは離れ離れとなって、つらい日々を送った。さらに、1854年母アレクサンドラが40歳の若さでコレラにより他界した。元々感受性が強いチャイコフスキーだけに大きな衝撃であった。こんな生活においても音楽が潤いを与えてくれた。寄宿舎時代のチャイコフスキーについて、学友ミハイロフが次のように述べている。

 

『音楽室で何時間もぶっ続けにピアノに向かっていた。見事な演奏だった…本物の音楽家のようにみえた。』


チャイコフスキーに対して「本物の音楽家のようにみえた。」というのも滑稽な評であるが、やがてロシアを代表する作曲家になる彼も、当時はまだ趣味の領域であった。この時期の彼について、音楽面での記録は少ないが、ピアノのレッスンに新たに通い始めたとか、イタリアの声楽家に出会うといったようなことがあったようだ。

次記事≫ ●第3回 脱サラして音楽の道へ 〜熱心に学び、活動をスタート〜

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【チャイコフスキーとシベリウスの生い立ち】 

はじめに

●第1回 チャイコフスキーの幼少期 〜趣味音楽をたしなむ父母、家庭教師の影響〜

●第2回 法律学校で学びながらピアノに向かう 〜母の死、そして、音楽の潤い〜

●第3回 脱サラして音楽の道へ 〜熱心に学び、活動をスタート〜

●第4回 音楽愛好家一族に生まれたシベリウス

●第5回 厳格な母方の環境、自由な父方の環境

●第6回 フィンランド語系の学校へ転入 〜カレワラを学ぶ〜

●第7回 シベリウスの音楽的興味 〜ヴァイオリン奏者を目指す〜

●第8回 新設音楽院では優等生のシベリウス

●第9回 留学地ヨーロッパでのシベリウス

●第10回 チャイコフスキーとシベリウスの特徴

●第11回 勤勉なチャイコフスキー

●第12回 好きな事に熱中するシベリウス

チャイコフスキーとシベリウスの生い立ち】 第1回

 

1840年5月7日、ヴォトキンスクでチャイコフスキーは生まれた。ヴォトキンスクとはロシアの中でも聞きなれない地名である。中心地からはかなり東に寄っていて、モスクワまでは1000キロ余り、サンクトペテルブルグまでは1500キロ以上も離れていてヨーロッパとは正反対に位置する。彼の父イリヤはこの地域の鉱山技師であり、鉱山所長も務めていた。彼の母アレクサンドラはフランス系移民の孫であった。


チャイコフスキーの家庭に職業音楽家はいなかったが、父イリヤは声楽とフルートを習っていたし、母アレクサンドラも歌が上手くハープも弾いた。母の歌は幼いチャイコフスキーの心を深く捉えたという。それはきっと後の彼の豊富な旋律の淵源だったのだろう。また、彼に最初にピアノの手ほどきをしたのも母であった。


幼年期の彼にもう一人大きな影響を与えたのが1844年に家庭教師となったフランス人女性のファンニ・デュルバフである。この家庭教師は情操教育に熱心で、度々本の読み聞かせを行った。数年が経つと、チャイコフスキーはフランス語の詩を書くようになっていた。後年の彼にフランス的な部分が見受けられるのは、母とこの家庭教師からの影響に間違いないだろう。ここでの暮らしに慣れ親しんできたのだが、転機が訪れた。


1848年父イリヤがヴォトキンスクの鉱山所長を辞職した。一家にとって長年過ごしたこの地を去ってモスクワ経由でペテルブルグに転居した。チャイコフスキーにとってみれば生まれた時からの地を離れたのが寂しかったらしく、家庭教師だったファンニ・デュルバフにあてた手紙で、「あの頃のことを考えると、泣きたくなります。」と述べていて繊細な胸の内が伺える。

 

次記事≫ ●第2回 法律学校で学びながらピアノに向かう 〜母の死、そして、音楽の潤い〜

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【チャイコフスキーとシベリウスの生い立ち】 

はじめに

●第1回 チャイコフスキーの幼少期 〜趣味音楽をたしなむ父母、家庭教師の影響〜

●第2回 法律学校で学びながらピアノに向かう 〜母の死、そして、音楽の潤い〜

●第3回 脱サラして音楽の道へ 〜熱心に学び、活動をスタート〜

●第4回 音楽愛好家一族に生まれたシベリウス

●第5回 厳格な母方の環境、自由な父方の環境

●第6回 フィンランド語系の学校へ転入 〜カレワラを学ぶ〜

●第7回 シベリウスの音楽的興味 〜ヴァイオリン奏者を目指す〜

●第8回 新設音楽院では優等生のシベリウス

●第9回 留学地ヨーロッパでのシベリウス

●第10回 チャイコフスキーとシベリウスの特徴

●第11回 勤勉なチャイコフスキー

●第12回 好きな事に熱中するシベリウス

2018年10月28日(日)演奏会に向けて、常任指揮者・高橋俊之が演奏曲に関することをまとめた、

連載第1弾【チャイコフスキーとシベリウスが生まれた国  〜ロシアとフィンランドの基礎知識〜】に続き、

第2弾を公開いたします。

 

テーマは【チャイコフスキーとシベリウスの生い立ち】(全12回)です。

 

JUGEMテーマ:オーケストラ

次記事≫ ●第1回 チャイコフスキーの幼少期 〜趣味音楽をたしなむ父母、家庭教師の影響〜

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【チャイコフスキーとシベリウスの生い立ち】 

はじめに

●第1回 チャイコフスキーの幼少期 〜趣味音楽をたしなむ父母、家庭教師の影響〜

●第2回 法律学校で学びながらピアノに向かう 〜母の死、そして、音楽の潤い〜

●第3回 脱サラして音楽の道へ 〜熱心に学び、活動をスタート〜

●第4回 音楽愛好家一族に生まれたシベリウス

●第5回 厳格な母方の環境、自由な父方の環境

●第6回 フィンランド語系の学校へ転入 〜カレワラを学ぶ〜

●第7回 シベリウスの音楽的興味 〜ヴァイオリン奏者を目指す〜

●第8回 新設音楽院では優等生のシベリウス

●第9回 留学地ヨーロッパでのシベリウス

●第10回 チャイコフスキーとシベリウスの特徴

●第11回 勤勉なチャイコフスキー

●第12回 好きな事に熱中するシベリウス

【チャイコフスキーとシベリウスが生まれた国  〜ロシアとフィンランドの基礎知識〜】  第11回:最終回

 

フィンランド人の民族意識について考えるためには、「カレワラ」に触れなくてはならない。

 

ニコライ祇い虜澎銘罎任△1835年、医師であるリョンロートはフィンランド東側のカレリア地区を歩き、その地の伝承(詩歌)を収録し、それを叙事詩「カレワラ」として発表した。その評判が良かったので、さらに調査を続け、補筆し1849年に改訂版を完成させた。

 

この叙事詩は古代フィン人に思いを寄せた神話で、その後の民俗学の研究テーマ、あるいは、美術、音楽の創作材料ともなって、フィンランド人全体に大きな影響を与えた。シベリウスの初期の作品クレルヴォ交響曲やレンミンカイネン組曲もこの「カレワラ」が題材となっている。

 

タイトルのクレルヴォやレンミンカイネンというのは「カレワラ」の登場人物であり、わが国の神話でいえばスサノウノミコトやオオクニヌシノミコトを題材にしているのと同じことである。


シベリウスが持っていた祖国愛の度合いを知ることはできないが、少なくとも、フィンランド独自の文化を興そうという雰囲気の中に彼の活動があった。

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【チャイコフスキーとシベリウスが生まれた国  〜ロシアとフィンランドの基礎知識〜】 

はじめに

第1回 隣近所のロシアとフィンランド 〜音楽の中心地ヨーロッパは遠く〜

第2回 ロシアの出発点 〜キリスト教を取り入れて〜

第3回 ヨーロッパと分かれていくロシア

第4回 宗教芸術の違い 〜芸術として発信するか否か〜

第5回 東方正教の宗教芸術 〜美術的価値尺度で発信をしない〜

第6回 東方正教の音楽 〜楽器使用の禁止、声楽だけ〜

第7回 ロシアの鐘 〜日本で一般的にイメージする「教会の鐘」と異なるトレズヴォン〜

第8回 西欧音楽の伝来 〜グリンカを経てチャイコフスキーへ〜

第9回 フィンランドの出発点 〜スウェーデン支配によるキリスト教化〜

第10回 フィンランドを巡る戦い 〜シベリウスの時代に至るまで〜

第11回:最終回 フィンランド人の民族意識 〜シベリウスも題材にした 叙事詩「カレワラ」〜

【チャイコフスキーとシベリウスが生まれた国  〜ロシアとフィンランドの基礎知識〜】  第10回

 

こうして、フィンランドは長い間スウェーデンによって形作られてきたのだが、この後、大きな変化が訪れた。
19世紀初頭、ヨーロッパ全体がナポレオンの登場で緊張している中、またもスウェーデンは内紛をきっかけに国が揺れ動き、1808年ロシアからフィンランド地区への攻撃を許すことになる。現地のフィンランド人たちは必死に戦った。しかし、スウェーデンはすでにこの地には見切りをつけていて、援軍を送らなかった。

 

私事ではあるが、つい先日、このフィンランドとロシアとの国境付近を飛行機で通る機会があった。

上空から眺めてみると、見渡す限り大小の湖が点在し大地を埋め尽くしていた。まとまった陸地を形成しているとはいえず、集落のようなものはまるで見られなかった。

 

飛行機から見たロシアとフィンランドとの国境付近

画像:飛行機から見たロシアとフィンランドとの国境付近(筆者撮影)

 

外務省のホームページによると、現在のフィンランドの人口は550万人だという(東京都人口1,300万人超)。また、国土の面積は日本より少し狭く、ちょうど沖縄を除く九州七県を差し引いたぐらいになる。つまり、人口密度がわが国よりもかなり低いわけで、こういった湖だらけの土地を現代の土木技術を駆使して開発する必要もないのだろう。このような土地のために何世紀も前からロシアもスウェーデンも文字通り一所懸命になっていた。


この侵攻の翌1809年、フィンランドは正式にロシアに割譲された。1812年には首都がトゥルク(オーボ)からヘルシンキに移された。

 

ニューグローブ世界音楽大事典のフィンランドの項によると、この後徐々に都市文化が発達していき、60年代以降、国内で催される演奏会の回数が飛躍的に増加したという。

 

また、アマチュア音楽家の演奏活動も盛んになり、演奏会通いをする人も増えた。

 

65年生まれであるシベリウスも、10代の頃から自らはヴァイオリンを弾き、家族で三重奏をたしなむような環境だった。この時代の典型的な良き家庭だったのだろう。

 

次記事●第11回:最終回 フィンランド人の民族意識 〜シベリウスも題材にした 叙事詩「カレワラ」〜

 

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【チャイコフスキーとシベリウスが生まれた国  〜ロシアとフィンランドの基礎知識〜】 

はじめに

第1回 隣近所のロシアとフィンランド 〜音楽の中心地ヨーロッパは遠く〜

第2回 ロシアの出発点 〜キリスト教を取り入れて〜

第3回 ヨーロッパと分かれていくロシア

第4回 宗教芸術の違い 〜芸術として発信するか否か〜

第5回 東方正教の宗教芸術 〜美術的価値尺度で発信をしない〜

第6回 東方正教の音楽 〜楽器使用の禁止、声楽だけ〜

第7回 ロシアの鐘 〜日本で一般的にイメージする「教会の鐘」と異なるトレズヴォン〜

第8回 西欧音楽の伝来 〜グリンカを経てチャイコフスキーへ〜

第9回 フィンランドの出発点 〜スウェーデン支配によるキリスト教化〜

第10回 フィンランドを巡る戦い 〜シベリウスの時代に至るまで〜

第11回:最終回 フィンランド人の民族意識 〜シベリウスも題材にした 叙事詩「カレワラ」〜

【チャイコフスキーとシベリウスが生まれた国  〜ロシアとフィンランドの基礎知識〜】  第9回

 

高緯度に位置するフィンランドであっても紀元前から人は生活していた。ロシアのウラル山脈に近い地域から移動し、その途中に農耕を覚えてフィンランドに定住したということである。ウラル付近からヨーロッパに定住するというのは、ハンガリーなども同じである。そしてこの地域に今のフィンランドの源ともいえるものが形成されたのが、ロシアの場合と同じで、キリスト教の導入された時代だと考えていいだろう。そういう意味でフィンランドを形作ったのはスウェーデンだった。スウェーデン王のエーリク柔い1155年北方十字軍としてフィンランドに出兵し、司教ヘンリックがフィンランドにカトリック信仰をもたらした。王は、更に東に兵を進めたが、東方正教の勢力の強い地域に差し掛かると、モンゴルの侵入に押し返され東カレリアを保有するにとどまった。つまり、フィンランドとロシアとの国境は、ローマカトリックと東方正教との境界線でもあった。


このように、フィンランドはスウェーデンに支配されることによりヨーロッパの仲間に入ることになった。しかし、その宗主国であるスウェーデンも決して頼りがいがあるとは言えなかった。国内の内紛の末、1397年にデンマーク、ノルウェーとの3国により結ばれたカルマル同盟では、事実上デンマークの支配下に置かれた。時代が下って、1523年、グスタブ祇いようやくカルマル同盟から分離独立し王に即位し、宗教改革を行い、ルター派を受け入れた。以後、現在に至るまでスウェーデンではルター派が国教とされている。フィンランドもこの改革に付き合うことになり、国教でこそないものの、ルター派が大勢を占めている。


次記事●第10回 フィンランドを巡る戦い 〜シベリウスの時代に至るまで〜

 

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【チャイコフスキーとシベリウスが生まれた国  〜ロシアとフィンランドの基礎知識〜】 

はじめに

第1回 隣近所のロシアとフィンランド 〜音楽の中心地ヨーロッパは遠く〜

第2回 ロシアの出発点 〜キリスト教を取り入れて〜

第3回 ヨーロッパと分かれていくロシア

第4回 宗教芸術の違い 〜芸術として発信するか否か〜

第5回 東方正教の宗教芸術 〜美術的価値尺度で発信をしない〜

第6回 東方正教の音楽 〜楽器使用の禁止、声楽だけ〜

第7回 ロシアの鐘 〜日本で一般的にイメージする「教会の鐘」と異なるトレズヴォン〜

第8回 西欧音楽の伝来 〜グリンカを経てチャイコフスキーへ〜

第9回 フィンランドの出発点 〜スウェーデン支配によるキリスト教化〜

第10回 フィンランドを巡る戦い 〜シベリウスの時代に至るまで〜

第11回:最終回 フィンランド人の民族意識 〜シベリウスも題材にした 叙事詩「カレワラ」〜

本日、多摩管 公開リハーサルが終了いたしました。
ご来場いただきました皆様、誠にありがとうございました。

ほぼいつもの雰囲気で練習をした後、

通し演奏をお客様に聞いていただくことで、本番へ向けての準備が一段階進みます。

 

演奏会本番は10月28日(日)です。

 

演奏会へのご来場、心よりお待ち申しております。

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