多摩管弦楽団第46回定期演奏会では

前半2曲演奏後、休憩をはさんで、チャイコフスキー《交響曲第5番》を演奏します。

 

常任指揮者・高橋俊之による解説【チャイコフスキー:交響曲第5番】

 

チャイコフスキーは交響曲に標題を付けたがらない。彼が交響曲第4番を作曲中にパトロンのナデジダ・フォン・メックに宛てた手紙で「この交響曲に標題があるのかどうかおたずねですね。交響曲の作品についてこの質問を受けたとき、ふつう私は、全然ありません、と答えることにしています。」と書いている。素人女性に自分の思いを丁寧に説明している様子が伺える文面である。

 

また彼は、交響曲第6番でさえも「悲愴」と名付けた弟モデストに「うまい!」とはいったものの、出版社ユルゲンソンへの手紙では、何も標題を付けないように指示している。このような作曲家は多くベートーヴェンなども同じで、それぞれの人が自由にイメージを持ってほしいので、比喩を使ってそれを固定したくないと言っている。しかし、周囲のなまくらな音楽通がどうしても言葉に置き換えたがってしまい、元々誣(ふ)言(げん)の多いシンドラーが、ハ短調交響曲についてベートーヴェンが「運命が扉を叩くと語った」という胡散臭いエピソードを残してしまった例もある。


ナデジダ・フォン・メックの気持ちもわからないわけではないが、この交響曲第5番も標題がなく、立派な純音楽である。しかし、音符のストーリーはある。ストーリーと言っても文学のように難しいことではなく、譜例の節だけ覚えればこの交響曲の構造が楽しめる。

 

譜例:全体の主題

 

この節は曲の最初に出てくるが、第1楽章のテーマというわけではない。この交響曲全体に何度も現れ支配しているものである。この全体の主題は、ロシア民謡にもロシア聖歌にもありそうな真面目な節回しだ。


第1楽章では序奏がこの全体の主題を弱音で始める。主部に入るとポーランド民謡とも言われているリズミカルな主題が現れる。これこそが第1楽章の第1主題である。もし、短調か長調かが聴きとれるとより面白い。この第1主題が短調であり、途中で長調になったところが第2主題だ。交響曲の第1楽章は昔からの慣わしで、どうしてもソナタ形式という窮屈な起承転結に沿って進められることになっている。


第2楽章はゆっくりしたオペラアリアのような雰囲気の楽章である。最初のホルンの旋律が色々なパートに現れる。ところが、このムードを断ち切り戒めるかのように譜例の全体の主題が金管楽器に現れる。ここでは、ティンパニのトレモロを伴いffで鳴り響く。そういった戒めが楽章中に二度おこる。


第3楽章は西ヨーロッパへの憧れを感じるような、優美なワルツである。楽章の最後に少しだけ全体の主題が出てくる。今度は劇的ではなく、ワルツにまぎれてこっそり登場する。聞き逃してしまったとしても不思議ではない。


第4楽章の冒頭から全体の主題で始まりこれがイントロダクションになる。主部に入ると、この楽章の主題が登場する。アレグロの速い楽想だが、ロシア特有の多声部合唱のようなハーモニーを有している。全曲の最後に全体の主題を高々と奏でる。単純な四分音符を連打する伴奏はロシア正教のトレズヴォンのようであり、旋律も讃美歌のように聞こえる。

多摩管弦楽団第46回定期演奏会では

2曲目にシベリウス《ヴァイオリン協奏曲》を演奏します。

 

常任指揮者・高橋俊之による解説【シベリウス:ヴァイオリン協奏曲】

 

シベリウスは7曲の交響曲と交響詩を含む数多くの管弦楽曲を残しているが、協奏曲はこの一曲だけである。

 

この協奏曲も春の歌と同様に改訂されている。初稿は1903年に完成し初演もなされた。2年後の1905年に改訂稿が発表され、ベルリンにおいてカルル・ハリールの独奏、リヒャルト・シュトラウスの指揮よって初演された。


ベルリンに滞在していたシベリウスはこの協奏曲を改訂しようと考えていたところ、ブラームスのヴァイオリン協奏曲を聴く機会があった。これに対し「とても素晴らしい作品だ。しかし、あまりにもシンフォニック過ぎる。」と妻アイノへの手紙で感想を述べている。とはいったものの、シベリウス自身の協奏曲の改定は、カデンツァなどのヴィルトゥオーゾ的なパッセージを数多く削るなど、むしろブラームスのものに近づいたようにも思われる。


この曲はヴァイオリン協奏曲としては、オーケストラの編成が大きく、それまでの、正統な協奏曲においてはトローンボーンが用いられることはなかった。しかし、シベリウスの音楽は大編成を用いても静寂を作り上げる所に特徴がある。冒頭のオーケストラの伴奏も、それがあることにより、無音よりもむしろ静かな雰囲気が作られていて、丁度、人気のない所でソロヴァイオリンが弾き始めたような情景が映し出される。


全曲の構成は至って正統的な協奏曲のスタイルを踏襲している。第1楽章はソナタ形式で、第一提示部こそないが、展開部には壮大なオーケストラの件があり、カデンツァが楽章の中央にある点なども含め、形式的にはチャイコフスキーのものと酷似している。第2楽章はゆっくりした3部形式で、第3楽章がロンド風なのも古くからの書法である。そうしたスタイルを守りながらも、暗闇の中か森の中のような人の気配を感じさせない所で、旋律が聞こえてくるような場面が現れるのがシベリウスの特徴である。もちろんフル編成の豊麗な響きをつくるところもあるが、そういう場合にも激情的な表現にはならない。


彼の最初の作品といわれている「水滴」JS216という曲がある。子供の頃のもので24小節程の曲であるが、ヴァイオリンとチェロの2重奏で、すべてがピッチカートで出来ていて、水滴の様子がよく表現されている。元々こうした情景を描写することが得意で、作曲家になってからも彼の大きな個性の一つとなった。

 

 ≫参考動画 【水滴】

 

このような優れた音感が感じられる部分がある一方で、ニューグローブ世界音楽大事典でも指摘されているように、シベリウスの作品の中には、愛好家からしか評価されないような作品も少なくない。しかし、この協奏曲は世界的に愛されており、ヴァイオリニストのレパートリーとしてもなくてはならない曲である。


先人からの協奏曲という書式の中からも、シベリウス特有の情景が描かれている。

多摩管弦楽団第46回定期演奏会で 1曲目に演奏するシベリウス《春の歌》。

 

初めて聴く方もそうでないかたも、

少しでも親しみを増して聴いていただけますと幸いです。

 

常任指揮者・高橋俊之による解説【シベリウス:春の歌】

 

この曲は1894年「即興曲」として作曲されたが、あまり評判が良くなく、翌年大幅に手を入れてこの「春の歌」というタイトルでリニューアルした。


フィンランドは同緯度に位置する他の国よりは幾分温暖だといわれている。それでも、冬は日本や西ヨーロッパなどよりもかなり厳しい。日照時間が短く、南部であっても10月末頃から約5か月間、40僂曚廟僂發辰神磴紡臙呂閉ざされる。春の始まりというのはまだまだ厳しい冬の延長線上でしかないが、大きな樹木の周りにほんの少し土が見えてくる。

 

北国の人々は、完璧に大地を支配していた雪が見せた隙を見逃さず、春の訪れを期待する。


この曲の冒頭も、ようやく厳しい冬がほころんだところから始まる。少しずつではあるが、後戻りをせずに春に移り行く流れが感じられる。やがて、冬の間に止まっていた世の中のあらゆるものが、取り戻した日差しの下に徐々に動き出していく。春の動きが積み重なり、賑わい、冬は遠のいていく。

 

クライマックスは春の象徴である復活祭の鐘が鳴り渡る。復活祭(イースター)はキリスト教の最大の祝日で、春分の日を過ぎた最初の満月に最も近い日曜日と定められている。今年は4月1日であったが、来年は4月21日である。キリスト教徒の多いヨーロッパの人々なら、春の場面で鐘の音が鳴れば、疑いなく復活祭を連想するはずである。
 

【チャイコフスキーとシベリウスの生い立ち】 第12回:最終回

 

シベリウスはこういった点で全く違っている。子供の頃から、成績は芳しくなく、自分の興味の向く教科しか取り組もうとしない面があった。形式的な授業には興味を持たず、行儀よく座っていることは苦痛であり先生からもよく叱られた。しかし、課外授業になると打って変わり、植物や昆虫の観察などには力を発揮した。シベリウスの作った植物や昆虫の標本は常にクラスの中でずば抜けていた。


ウィーン留学では良い評価を受けることもなく、1年足らずで帰国してしまうが、その短期間に管弦楽法を習得している。ここでは、興味を持った事を熱心に習得する彼の性質が生きたのだろう。

≫関連記事 ●第9回 留学地ヨーロッパでのシベリウス

 

帰国をすると早速その会得した管弦楽法を生かし、クレルヴォ交響曲を発表した。「カレワラ」を題材としたフィンランド語の独唱、合唱付きの大交響曲である。この作品が当時のフェンノマンというフィンランド民族主義の社会情勢に合致し彼は一躍有名になる。当然人々の間ではシベリウスもフェンノマンだということになった。このフィンランドの民族主義の末にロシアから独立を果たすので、反ロシア運動だと思われがちだが、元々はそうではない。ロシア皇帝ニコライ祇い魯レワラブームを警戒して、一時フィンランドの自治権を奪おうとしたが、次のアレクサンドル鏡い魯侫ンランド宥和政策に転換した。フェンノマンの創始者スネルマンはこの宥和政策が行われたことにより、ロシアのフィンランド併合を評価し、ロシア支配下で、フィンランド語およびフィンランド文化の地位向上を目指した。同時にスウェーデン支配の復帰を目論むスカンジナビア主義者(スヴェコマン)と対峙することになった。フェンノマンの活動により、それまで公用語はスウェーデン語だけであったのが、1863年にフィンランド語も認められるようになった。これはスカンジナビア主義者にとっては面白くなかったであろう。


シベリウス自身はスウェーデン語系であるが、本来こういった政治活動そのものに興味をもつ性質ではない。だが、ヤーネフェルト一家とのつながりが彼の音楽活動に影響を与えた。ヤーネフェルト一家はロシア貴族の出身で、フェンノマン活動家であり、もちろん家庭ではフィンランド語が用いられていた。ヤーネフェルト兄弟姉妹は4人で、アルヴィッドは作家、エーロは画家、アルマスは指揮者、そしてアイノはシベリウスの妻になった。


アイノがフェンノマンだったことはシベリウスに大きな影響を与えた。先ず、婚約を言い交して留学した際に手紙のやり取りが頻繁におこなわれた。シベリウスはフィンランド語で書かなければならなかったが、ここでも興味のあることに対しては目覚ましく上達する性質が生かされたはずである。「カレワラ」を掘り下げ、作品の題材にしたのもアイノの存在が無ければ行われなかったかもしれず、あの成功もなかったわけである。

 

後に、チャイコフスキーのように自信喪失ほどにまで悩まなかったのは、彼の性格と共にアイノの存在が大きい。

 

シベリウス

 

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【チャイコフスキーとシベリウスの生い立ち】 

はじめに

●第1回 チャイコフスキーの幼少期 〜趣味音楽をたしなむ父母、家庭教師の影響〜

●第2回 法律学校で学びながらピアノに向かう 〜母の死、そして、音楽の潤い〜

●第3回 脱サラして音楽の道へ 〜熱心に学び、活動をスタート〜

●第4回 音楽愛好家一族に生まれたシベリウス

●第5回 厳格な母方の環境、自由な父方の環境

●第6回 フィンランド語系の学校へ転入 〜カレワラを学ぶ〜

●第7回 シベリウスの音楽的興味 〜ヴァイオリン奏者を目指す〜

●第8回 新設音楽院では優等生のシベリウス

●第9回 留学地ヨーロッパでのシベリウス

●第10回 チャイコフスキーとシベリウスの特徴

●第11回 勤勉なチャイコフスキー

●第12回 好きな事に熱中するシベリウス

【チャイコフスキーとシベリウスの生い立ち】 ●第11回

 

一般的にチャイコフスキーはロシアの作曲家の中でも作風がヨーロッパ寄りだと言われていて、国民楽派として扱わない人もいる。本人も1880年に完成した弦楽セレナーデを作曲した際に、モーツァルトを意識して書いたという手紙をパトロンのナデジダ・フォン・メックに宛てて書いている。また、すでに何年も前に大成功を収めていた交響曲第2番も1880年になってから大改作した。初稿は抒情的でドラマティックな、いわゆるチャイコフスキーらしい交響曲であったのだが、それを感情表現が抑制された古典派的な行儀のよい作品に変えている。次第に国際的に名が知られていくにつれて、西ヨーロッパ的な視点で見られたとしても評価される作品に近づけたいという意識が見て取れる。また、実際にヨーロッパ各地を旅することも多くなった。


この頃に作曲されたヴァイオリン協奏曲では不運なことに見舞われた。まず、この協奏曲を完成させると、当時のロシア最大のヴァイオリニスト、レオポルド・アウアーに見せて初演をしてもらおうとしたが、アウアーに「演奏不可能だ」言い切られてしまいペテルブルクでは発表が出来なくなってしまった。

 

すると、この行き場のなくなってしまった協奏曲を拾い上げるものがいた。アドルフ・ブロドズキーというロシア出身でヨーロッパ在住のヴァイオリニストである。彼がこの協奏曲を1881年、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団の演奏会で初演した。ところが、これに対し当時の音楽界で影響力のあったウィーン大学教授の評論家ハンスリックが酷評を下した。ロシアの安酒の悪臭がするという。この言い回しは、作品が心を捉えないという意味ではなく、強い嫌悪感を覚えたということだ。また、ハンスリックから見たロシアという辺境国の人間に対する蔑みの感情も含まれている。

 

シベリウスも留学中にこのような視線を浴びることが多かったはずである。彼に下された「粗野で野蛮」との評価もその一例といえる。


今日では、チャイコフスキーもシベリウスもそれまでのヨーロッパ中心部の音楽と違うからこそ価値があるとされている。しかし、当時は遅れた地域の感性、もっと悪く言えば田舎者のセンスとされてしまう場合も少なからずあり、批判を受ける側も甘受していた。


このヴァイオリン協奏曲の頃から1888年に交響曲第5番が完成するまでの期間に完成した、主要作品が少なく、チャイコフスキーのスランプ期と言われている。しかし、ようやく完成した交響曲第5番も初演当初の批評は厳しいものであり、本人ですら「大げさに飾り立てられた、作り物のいやらしさがある。」との自己批判をナデジダ・フォン・メック宛の手紙で述べている。スランプ期以前の交響曲第4番についての手紙では「わたしの最も優れた交響曲のように思える。」と書いているのと比べると第5番はかなり自信がないことがわかる。チャイコフスキーは学生時代から大変な勉強家で、批判を受けたり、足りない部分を見出したりすると実にまともに取り組むのである。

 

しかし、芸術である以上、万人の賛同を期待することは無理であり、特に作曲などの次々と新しい作品を創造する分野は、欠点に胡坐をかいてでも個性的なものが必要になってくる。

 

チャイコフスキーはしっかりとした技術を持ち、自分のスタイルも確立していた。それにもかかわらず、他人から受けた指摘に向き合い、自己批判をおこたらず、努力家であるがゆえに答えのないものを追う羽目になったように思われる。作品がヨーロッパ風だというのも、自分のスタイルの欠点を補おうという彼の真面目さが表われているのかもしれない。

チャイコフスキー

 

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【チャイコフスキーとシベリウスの生い立ち】 

はじめに

●第1回 チャイコフスキーの幼少期 〜趣味音楽をたしなむ父母、家庭教師の影響〜

●第2回 法律学校で学びながらピアノに向かう 〜母の死、そして、音楽の潤い〜

●第3回 脱サラして音楽の道へ 〜熱心に学び、活動をスタート〜

●第4回 音楽愛好家一族に生まれたシベリウス

●第5回 厳格な母方の環境、自由な父方の環境

●第6回 フィンランド語系の学校へ転入 〜カレワラを学ぶ〜

●第7回 シベリウスの音楽的興味 〜ヴァイオリン奏者を目指す〜

●第8回 新設音楽院では優等生のシベリウス

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●第11回 勤勉なチャイコフスキー

●第12回 好きな事に熱中するシベリウス

【チャイコフスキーとシベリウスの生い立ち】 

 

一般に言われている国民楽派という分類も曖昧ではあるが、ルネサンスと無縁な国から輩出された音楽家のことをいうのであれば、この二人の作曲家はその代表者だと言える。二人を比較しながら、その対照的ともいえる特徴を考えてみたい。

 

 勤勉なチャイコフスキー

 好きな事に熱中するシベリウス

 

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【チャイコフスキーとシベリウスの生い立ち】 

はじめに

●第1回 チャイコフスキーの幼少期 〜趣味音楽をたしなむ父母、家庭教師の影響〜

●第2回 法律学校で学びながらピアノに向かう 〜母の死、そして、音楽の潤い〜

●第3回 脱サラして音楽の道へ 〜熱心に学び、活動をスタート〜

●第4回 音楽愛好家一族に生まれたシベリウス

●第5回 厳格な母方の環境、自由な父方の環境

●第6回 フィンランド語系の学校へ転入 〜カレワラを学ぶ〜

●第7回 シベリウスの音楽的興味 〜ヴァイオリン奏者を目指す〜

●第8回 新設音楽院では優等生のシベリウス

●第9回 留学地ヨーロッパでのシベリウス

●第10回 チャイコフスキーとシベリウスの特徴

●第11回 勤勉なチャイコフスキー

●第12回 好きな事に熱中するシベリウス

【チャイコフスキーとシベリウスの生い立ち】 ●第9回 

 

1889年、ヘルシンキ音楽院を終えたシベリウスはベルリンに留学する。

 

ここで師事したアルベルト・ベッカーは古いスタイルの作曲家でシベリウスは内容的に不満があったようだが、それでもこの師は推薦状をかいて奨学金が得られるように取り計らってくれた。また、そういった古典的なスタイルを十分に学んだことは、大いに意味があったはずである。


ベルリンから帰国すると次はウィーンに留学した。ベルリンでは音楽のスタイルが古いといった不満をもったシベリウスであったが、このウィーンはヨーロッパ中からの有能な若い音楽家が集まっており、今までのように特別に輝いた存在とはならず、ヴェゲリウスやベッカーのような暖かい扱いは受けなかったようだ。「粗野で野蛮な音楽」という評価を受けた。

 

また、作曲のレッスンを受ける一方、ヴァイオリンでウィーンフィルハーモニー管弦楽団の入団試験も受けている。彼があがり性だったためにこの試験で失敗したと伝えられているが、そもそもヴァイオリンの学習歴を見る限り合格するのは難しかったように思われる。ピアノやヴァイオリンという楽器は、モーツァルトやベートーヴェンの時代からすでに早期教育が行われ、練習量も年齢に見合わない程なされていた。ウィーンといえばヨーロッパ各地からそういった訓練を積んできた者が集まっており、音感が良いという程度で、楽しみを優先して学んできた彼は、かなり見劣りがしたはずである。また、作曲志望者の多くもそのようにしてピアノ等の器楽を学んできており、シベリウスが特別に期待される存在で無かったとしても不思議ではない。


しかし、シベリウスはこのウィーンで管弦楽法を学んだ。それまでの彼は、管弦楽に触れたことがなく、書いてきた作品も室内楽曲や独奏曲だけだった。後の活躍を思えば、この地でオーケストレーションを習得したということが、学生として優秀だったかどうかといった下世話なことよりもはるかに大きな価値があった。


1891年、シベリウスは留学生活を終えフィンランドに帰国し、ここでウィーンにいたときから着想したクレルヴォ交響曲を書き進める。完成は翌年に持ち込まれ、1892年4月28日に初演がおこなわれた。結果は大成功で作曲家シベリウスの名が広く知れ渡った。

 

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【チャイコフスキーとシベリウスの生い立ち】 

はじめに

●第1回 チャイコフスキーの幼少期 〜趣味音楽をたしなむ父母、家庭教師の影響〜

●第2回 法律学校で学びながらピアノに向かう 〜母の死、そして、音楽の潤い〜

●第3回 脱サラして音楽の道へ 〜熱心に学び、活動をスタート〜

●第4回 音楽愛好家一族に生まれたシベリウス

●第5回 厳格な母方の環境、自由な父方の環境

●第6回 フィンランド語系の学校へ転入 〜カレワラを学ぶ〜

●第7回 シベリウスの音楽的興味 〜ヴァイオリン奏者を目指す〜

●第8回 新設音楽院では優等生のシベリウス

●第9回 留学地ヨーロッパでのシベリウス

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【チャイコフスキーとシベリウスの生い立ち】 ●第8回 

 

ヘルシンキ音楽院ではマルティン・ヴェゲリウスから指導を受けた。

 

ヴェゲリウスはフィンランド歌劇場の監督で、ピアノ、作曲もするが、何よりもこの音楽院を創設しての教育活動こそが彼の最も大きな業績である。この当時、音楽院はまだ設立して数年しか経っておらず、木管楽器のクラスもなく、生徒の多くは良家の子女であり、初級者レベルの者も多かった。こんな中で、シベリウスが抜きんでた存在だったことは当然なことだった。


数年すると、この音楽院にまだ若いがすでにヨーロッパで名声を挙げていたフェルッチョ・ブゾーニがピアノ教師として赴任してきた。

 

ブゾーニはレッスンに犬を連れてくるという変わり者で滞在期間も短かったが、その初歩的な生徒たちに失望しつつも、忍耐と誠意を持って指導に当たったと見え、後日、バッハのインヴェンションとシンフォニアを校訂した版(ブゾーニ版)をこの音楽院に献呈している。ブゾーニは年齢の近いシベリウスの才能に気づき、学生と指導者という立場でありながら、すぐに意気投合した。このシベリウスとブゾーニとの友好関係は生涯続いた。

 

また、この音楽院で、シベリウスはアルマス・ヤーネフェルトにも出会う。シベリウスと同じように法学部を辞めて来ていた。このアルマスの妹が後にシベリウスの妻となるアイノである。

 

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●第5回 厳格な母方の環境、自由な父方の環境

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●第7回 シベリウスの音楽的興味 〜ヴァイオリン奏者を目指す〜

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【チャイコフスキーとシベリウスの生い立ち】 ●第7回 

 

この時期、シベリウスは徐々にピアノからヴァイオリンに興味が移っていった。ヴァイオリンは父方の伯父ペールが弾いていた。ペールはトゥルク出身のビジネスマンで、彼の趣味はヴァイオリンを弾くことの他に、望遠鏡を持っていて星の観察もしていた。また、音楽理論の知識はなかったが、作曲も試みている。


15歳になるとハメーンリンナの軍楽隊長グスタフ・レヴァンデルについて正式にヴァイオリンのレッスンを始めた。後年、シベリウスはヴァイオリンのレッスンを始めたことで、「音楽に囚われた。」と述べている。いずれは、職業ヴァイオリン奏者になろうとの思いも強くなり、練習にも精を出すようになった。この時期、姉のリンダがピアノ、弟のクリスティアンがチェロ、そしてシベリウスがヴァイオリンという形でトリオを組みホームコンサートなどで演奏している。


しかし進学の時期になりシベリウスが音楽の道に進みたいと言い出すと、親族一同が反対し説得に力を注いだ。現代でもよくある話だが、当時のフィンランドではまだ音楽家の地位も低かった。職業音楽家がいないわけではなかったのだが、そのような分野はまだ黎明期であり、彼の志望に強く反対したとしても、芸術に無理解だったという訳ではない。


1885年、一応ヘルシンキ大学の法学部に進学した。しかし、シベリウスはそもそも課せられた義務にひれ伏して勉強をする事などできる性質ではなかった。法学部に籍を置いたままヘルシンキ音楽院に通い始めることになった。法学部をやめなかったのは、尚も反対する親戚の手前そのようにしただけであって、シベリウスはすでに戻る気など毛頭無かったであろう。1886年、とうとうヘルシンキ大学を退学した。

 

次記事≫ ●第8回 新設音楽院では優等生のシベリウス

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【チャイコフスキーとシベリウスの生い立ち】 

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●第2回 法律学校で学びながらピアノに向かう 〜母の死、そして、音楽の潤い〜

●第3回 脱サラして音楽の道へ 〜熱心に学び、活動をスタート〜

●第4回 音楽愛好家一族に生まれたシベリウス

●第5回 厳格な母方の環境、自由な父方の環境

●第6回 フィンランド語系の学校へ転入 〜カレワラを学ぶ〜

●第7回 シベリウスの音楽的興味 〜ヴァイオリン奏者を目指す〜

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【チャイコフスキーとシベリウスの生い立ち】 ●第6回

 

1872年、シベリウスはスウェーデン語系の学校に入学する。

 

そもそもフィンランドは長い間スウェーデンの支配下にあったので、官庁用語や新聞、あるいは教育もスウェーデン語が用いられていた。当然、有産階級や学問に従事する者はスウェーデン語が必要であり、そもそも母国語としていた人が多かった。

 

当時のフィンランドでは14パーセントの人がスウェーデン語を母国語としていた。今日でも6パーセントの人がスウェーデン語を用いていて、現在もなお公用語として認められている。正確に言えば、フィンランド語の方が後から公用語なったわけである。シベリウスの家庭でも、スウェーデン語が使われていた。

 

ところが、シベリウスは1874年になるとハメーンリンナに出来たばかりのフィンランド語系の学校に転入した。ここではじめて原語(フィンランド語)で「カレワラ」を学んだりしたので、後々の影響を考えると、この転校の決断は変わりゆくフィンランドで、祖母カタリーナ・ボルィらに先見の明があったといえる。しかし、肝心のシベリウスはあまり勉強好きではなく、成績もそれほど良くはなかった。

 

カレワラ:『アイノ』(アクセリ・ガッレン=カッレラ、1891年)

 

 【関連記事 ≫フィンランド人の民族意識 〜シベリウスも題材にした 叙事詩「カレワラ」〜

 

次記事≫ ●第7回 シベリウスの音楽的興味 〜ヴァイオリン奏者を目指す〜

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【チャイコフスキーとシベリウスの生い立ち】 

はじめに

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