【チャイコフスキーとシベリウスの生い立ち】 第12回:最終回

 

シベリウスはこういった点で全く違っている。子供の頃から、成績は芳しくなく、自分の興味の向く教科しか取り組もうとしない面があった。形式的な授業には興味を持たず、行儀よく座っていることは苦痛であり先生からもよく叱られた。しかし、課外授業になると打って変わり、植物や昆虫の観察などには力を発揮した。シベリウスの作った植物や昆虫の標本は常にクラスの中でずば抜けていた。


ウィーン留学では良い評価を受けることもなく、1年足らずで帰国してしまうが、その短期間に管弦楽法を習得している。ここでは、興味を持った事を熱心に習得する彼の性質が生きたのだろう。

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帰国をすると早速その会得した管弦楽法を生かし、クレルヴォ交響曲を発表した。「カレワラ」を題材としたフィンランド語の独唱、合唱付きの大交響曲である。この作品が当時のフェンノマンというフィンランド民族主義の社会情勢に合致し彼は一躍有名になる。当然人々の間ではシベリウスもフェンノマンだということになった。このフィンランドの民族主義の末にロシアから独立を果たすので、反ロシア運動だと思われがちだが、元々はそうではない。ロシア皇帝ニコライ祇い魯レワラブームを警戒して、一時フィンランドの自治権を奪おうとしたが、次のアレクサンドル鏡い魯侫ンランド宥和政策に転換した。フェンノマンの創始者スネルマンはこの宥和政策が行われたことにより、ロシアのフィンランド併合を評価し、ロシア支配下で、フィンランド語およびフィンランド文化の地位向上を目指した。同時にスウェーデン支配の復帰を目論むスカンジナビア主義者(スヴェコマン)と対峙することになった。フェンノマンの活動により、それまで公用語はスウェーデン語だけであったのが、1863年にフィンランド語も認められるようになった。これはスカンジナビア主義者にとっては面白くなかったであろう。


シベリウス自身はスウェーデン語系であるが、本来こういった政治活動そのものに興味をもつ性質ではない。だが、ヤーネフェルト一家とのつながりが彼の音楽活動に影響を与えた。ヤーネフェルト一家はロシア貴族の出身で、フェンノマン活動家であり、もちろん家庭ではフィンランド語が用いられていた。ヤーネフェルト兄弟姉妹は4人で、アルヴィッドは作家、エーロは画家、アルマスは指揮者、そしてアイノはシベリウスの妻になった。


アイノがフェンノマンだったことはシベリウスに大きな影響を与えた。先ず、婚約を言い交して留学した際に手紙のやり取りが頻繁におこなわれた。シベリウスはフィンランド語で書かなければならなかったが、ここでも興味のあることに対しては目覚ましく上達する性質が生かされたはずである。「カレワラ」を掘り下げ、作品の題材にしたのもアイノの存在が無ければ行われなかったかもしれず、あの成功もなかったわけである。

 

後に、チャイコフスキーのように自信喪失ほどにまで悩まなかったのは、彼の性格と共にアイノの存在が大きい。

 

シベリウス

 

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【チャイコフスキーとシベリウスの生い立ち】 

はじめに

●第1回 チャイコフスキーの幼少期 〜趣味音楽をたしなむ父母、家庭教師の影響〜

●第2回 法律学校で学びながらピアノに向かう 〜母の死、そして、音楽の潤い〜

●第3回 脱サラして音楽の道へ 〜熱心に学び、活動をスタート〜

●第4回 音楽愛好家一族に生まれたシベリウス

●第5回 厳格な母方の環境、自由な父方の環境

●第6回 フィンランド語系の学校へ転入 〜カレワラを学ぶ〜

●第7回 シベリウスの音楽的興味 〜ヴァイオリン奏者を目指す〜

●第8回 新設音楽院では優等生のシベリウス

●第9回 留学地ヨーロッパでのシベリウス

●第10回 チャイコフスキーとシベリウスの特徴

●第11回 勤勉なチャイコフスキー

●第12回 好きな事に熱中するシベリウス