【チャイコフスキーとシベリウスの生い立ち】 ●第6回

 

1872年、シベリウスはスウェーデン語系の学校に入学する。

 

そもそもフィンランドは長い間スウェーデンの支配下にあったので、官庁用語や新聞、あるいは教育もスウェーデン語が用いられていた。当然、有産階級や学問に従事する者はスウェーデン語が必要であり、そもそも母国語としていた人が多かった。

 

当時のフィンランドでは14パーセントの人がスウェーデン語を母国語としていた。今日でも6パーセントの人がスウェーデン語を用いていて、現在もなお公用語として認められている。正確に言えば、フィンランド語の方が後から公用語なったわけである。シベリウスの家庭でも、スウェーデン語が使われていた。

 

ところが、シベリウスは1874年になるとハメーンリンナに出来たばかりのフィンランド語系の学校に転入した。ここではじめて原語(フィンランド語)で「カレワラ」を学んだりしたので、後々の影響を考えると、この転校の決断は変わりゆくフィンランドで、祖母カタリーナ・ボルィらに先見の明があったといえる。しかし、肝心のシベリウスはあまり勉強好きではなく、成績もそれほど良くはなかった。

 

カレワラ:『アイノ』(アクセリ・ガッレン=カッレラ、1891年)

 

 【関連記事 ≫フィンランド人の民族意識 〜シベリウスも題材にした 叙事詩「カレワラ」〜

 

次記事≫ ●第7回 シベリウスの音楽的興味 〜ヴァイオリン奏者を目指す〜

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【チャイコフスキーとシベリウスの生い立ち】 

はじめに

●第1回 チャイコフスキーの幼少期 〜趣味音楽をたしなむ父母、家庭教師の影響〜

●第2回 法律学校で学びながらピアノに向かう 〜母の死、そして、音楽の潤い〜

●第3回 脱サラして音楽の道へ 〜熱心に学び、活動をスタート〜

●第4回 音楽愛好家一族に生まれたシベリウス

●第5回 厳格な母方の環境、自由な父方の環境

●第6回 フィンランド語系の学校へ転入 〜カレワラを学ぶ〜

●第7回 シベリウスの音楽的興味 〜ヴァイオリン奏者を目指す〜

●第8回 新設音楽院では優等生のシベリウス

●第9回 留学地ヨーロッパでのシベリウス

●第10回 チャイコフスキーとシベリウスの特徴

●第11回 勤勉なチャイコフスキー

●第12回 好きな事に熱中するシベリウス