【チャイコフスキーとシベリウスの生い立ち】 第3回

 

1859年には法学部の全課程を終え、法務省に事務官として勤務を始める。しかし、こうして社会人になってすぐに勤務の傍らでロシア音楽協会付属の音楽教室に通い始める。この音楽教室は1862年にペテルブルグ音楽院となった。チャイコフスキーが音楽院に通い始めた頃は、法務省の勤務にも時間を取られ、あまり熱心な学生ではなかったのだが、1863年にとうとう法務省を辞職し、音楽に没頭した。チャイコフスキーが音楽家になることを父イリヤは早くから理解を示してくれたが、他の家族は喜ばなかった。

 

画像:ペテルブルグ音楽院

(サンクト)ペテルブルグ音楽院


音楽院では作曲家でピアニストのアントン・ルービンシテインのクラスで学んだ。その当初、彼は他の優秀な学生に比べ、専門家としての音楽理論やクラシック作品の知識がかなり貧弱であった。しかし、脱サラまでした彼は、根気よく音楽の習得に努めた。音楽院での親友ラロシは、「アントン・ルービンシテイン教授が学生に与える課題は膨大で、多くの学生がやり遂げようと試みなかったが、チャイコフスキーは時間を費やし仕上げてきていた。」と証言している。またある時は、与えられた主題の変奏曲を作曲する宿題で、200余りもの変奏曲を仕上げて提出して、さすがに教育熱心なアントン・ルービンシュテインも、喜びの反面辟易してしまったこともあった。このように常に熱心な勉強家であり、この訓練を経て作曲家になった。


チャイコフスキーは卒業と同時にアントン・ルービンシテインの弟ニコライからの誘いで新設モスクワ音楽院の音楽理論の講師を務める。ニコライ・ルービンシテインはピアニストかつ指揮者であり、駆け出しの彼を良くサポートした人物である。また、彼は、チャイコフスキーの中期までの作品で初演指揮を数多く果たした。こうして作曲家としての活動をスタートさせていった。

 

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【チャイコフスキーとシベリウスの生い立ち】 

はじめに

●第1回 チャイコフスキーの幼少期 〜趣味音楽をたしなむ父母、家庭教師の影響〜

●第2回 法律学校で学びながらピアノに向かう 〜母の死、そして、音楽の潤い〜

●第3回 脱サラして音楽の道へ 〜熱心に学び、活動をスタート〜

●第4回 音楽愛好家一族に生まれたシベリウス

●第5回 厳格な母方の環境、自由な父方の環境

●第6回 フィンランド語系の学校へ転入 〜カレワラを学ぶ〜

●第7回 シベリウスの音楽的興味 〜ヴァイオリン奏者を目指す〜

●第8回 新設音楽院では優等生のシベリウス

●第9回 留学地ヨーロッパでのシベリウス

●第10回 チャイコフスキーとシベリウスの特徴

●第11回 勤勉なチャイコフスキー

●第12回 好きな事に熱中するシベリウス