【チャイコフスキーとシベリウスの生い立ち】 第2回

 

1850年、チャイコフスキーは母アレクサンドラに連れられてグリンカのオペラ「皇帝に捧げた命(イワン・スサーニン)」の上演を観に行った。この公演は当時10歳だったチャイコフスキーに生涯忘れることのできない感動を与え、40年以上経ってからも、ある編集者との対談でこの作品に対する愛敬の気持ちを強く語ったという。すでに学齢期を迎えていたチャイコフスキーは、このオペラ鑑賞の数週間後にペテルブルグ法律学校に入学した。


ペテルブルグ法律学校は寄宿舎での生活となり家族とは離れ離れとなって、つらい日々を送った。さらに、1854年母アレクサンドラが40歳の若さでコレラにより他界した。元々感受性が強いチャイコフスキーだけに大きな衝撃であった。こんな生活においても音楽が潤いを与えてくれた。寄宿舎時代のチャイコフスキーについて、学友ミハイロフが次のように述べている。

 

『音楽室で何時間もぶっ続けにピアノに向かっていた。見事な演奏だった…本物の音楽家のようにみえた。』


チャイコフスキーに対して「本物の音楽家のようにみえた。」というのも滑稽な評であるが、やがてロシアを代表する作曲家になる彼も、当時はまだ趣味の領域であった。この時期の彼について、音楽面での記録は少ないが、ピアノのレッスンに新たに通い始めたとか、イタリアの声楽家に出会うといったようなことがあったようだ。

次記事≫ ●第3回 脱サラして音楽の道へ 〜熱心に学び、活動をスタート〜

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【チャイコフスキーとシベリウスの生い立ち】 

はじめに

●第1回 チャイコフスキーの幼少期 〜趣味音楽をたしなむ父母、家庭教師の影響〜

●第2回 法律学校で学びながらピアノに向かう 〜母の死、そして、音楽の潤い〜

●第3回 脱サラして音楽の道へ 〜熱心に学び、活動をスタート〜

●第4回 音楽愛好家一族に生まれたシベリウス

●第5回 厳格な母方の環境、自由な父方の環境

●第6回 フィンランド語系の学校へ転入 〜カレワラを学ぶ〜

●第7回 シベリウスの音楽的興味 〜ヴァイオリン奏者を目指す〜

●第8回 新設音楽院では優等生のシベリウス

●第9回 留学地ヨーロッパでのシベリウス

●第10回 チャイコフスキーとシベリウスの特徴

●第11回 勤勉なチャイコフスキー

●第12回 好きな事に熱中するシベリウス