【チャイコフスキーとシベリウスが生まれた国  〜ロシアとフィンランドの基礎知識〜】  第10回

 

こうして、フィンランドは長い間スウェーデンによって形作られてきたのだが、この後、大きな変化が訪れた。
19世紀初頭、ヨーロッパ全体がナポレオンの登場で緊張している中、またもスウェーデンは内紛をきっかけに国が揺れ動き、1808年ロシアからフィンランド地区への攻撃を許すことになる。現地のフィンランド人たちは必死に戦った。しかし、スウェーデンはすでにこの地には見切りをつけていて、援軍を送らなかった。

 

私事ではあるが、つい先日、このフィンランドとロシアとの国境付近を飛行機で通る機会があった。

上空から眺めてみると、見渡す限り大小の湖が点在し大地を埋め尽くしていた。まとまった陸地を形成しているとはいえず、集落のようなものはまるで見られなかった。

 

飛行機から見たロシアとフィンランドとの国境付近

画像:飛行機から見たロシアとフィンランドとの国境付近(筆者撮影)

 

外務省のホームページによると、現在のフィンランドの人口は550万人だという(東京都人口1,300万人超)。また、国土の面積は日本より少し狭く、ちょうど沖縄を除く九州七県を差し引いたぐらいになる。つまり、人口密度がわが国よりもかなり低いわけで、こういった湖だらけの土地を現代の土木技術を駆使して開発する必要もないのだろう。このような土地のために何世紀も前からロシアもスウェーデンも文字通り一所懸命になっていた。


この侵攻の翌1809年、フィンランドは正式にロシアに割譲された。1812年には首都がトゥルク(オーボ)からヘルシンキに移された。

 

ニューグローブ世界音楽大事典のフィンランドの項によると、この後徐々に都市文化が発達していき、60年代以降、国内で催される演奏会の回数が飛躍的に増加したという。

 

また、アマチュア音楽家の演奏活動も盛んになり、演奏会通いをする人も増えた。

 

65年生まれであるシベリウスも、10代の頃から自らはヴァイオリンを弾き、家族で三重奏をたしなむような環境だった。この時代の典型的な良き家庭だったのだろう。

 

次記事●第11回:最終回 フィンランド人の民族意識 〜シベリウスも題材にした 叙事詩「カレワラ」〜

 

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【チャイコフスキーとシベリウスが生まれた国  〜ロシアとフィンランドの基礎知識〜】 

はじめに

第1回 隣近所のロシアとフィンランド 〜音楽の中心地ヨーロッパは遠く〜

第2回 ロシアの出発点 〜キリスト教を取り入れて〜

第3回 ヨーロッパと分かれていくロシア

第4回 宗教芸術の違い 〜芸術として発信するか否か〜

第5回 東方正教の宗教芸術 〜美術的価値尺度で発信をしない〜

第6回 東方正教の音楽 〜楽器使用の禁止、声楽だけ〜

第7回 ロシアの鐘 〜日本で一般的にイメージする「教会の鐘」と異なるトレズヴォン〜

第8回 西欧音楽の伝来 〜グリンカを経てチャイコフスキーへ〜

第9回 フィンランドの出発点 〜スウェーデン支配によるキリスト教化〜

第10回 フィンランドを巡る戦い 〜シベリウスの時代に至るまで〜

第11回:最終回 フィンランド人の民族意識 〜シベリウスも題材にした 叙事詩「カレワラ」〜