【チャイコフスキーとシベリウスが生まれた国  〜ロシアとフィンランドの基礎知識〜】  第8

 

文化の面で本格的に西欧化されたのはエカテリーナ鏡い亮世になってからである。

 

彼女は1762年に皇帝に即位した。元々ドイツからピョートル契い糧泙箸靴討笋辰突茲真箸両紊任△辰燭、曲折の末、自らが皇帝となった。エカテリーナは教養が高くロシアに来る前から啓蒙思想を学んでいた。ロシア帝国はモンゴル帝国式の専制で成り立っていたから、学識が高い彼女はとんでもない所に嫁に来たと思ったに違いない。しかし、直ちに政治方針を西欧式にすることは貴族たちの発想の限界もあり、それよりも先ず教育の必要性を痛感した。

 

このような事情の中で西欧音楽が積極的に取り入れられ、イタリアの音楽家たちが数多く招聘された。わが国の明治維新のお雇い外国人を思えばわかりやすい。パイジェルロ(1740〜1816年)はその一典型である。1776年から7年間ロシアでエカテリーナ付きの楽長として作曲、指揮をした。1783年に妻が病気だという嘘くさい理由を掲げてイタリアへの帰国許可を願い出た。パイジェルロはエカテリーナ帝からの信頼が厚く、この申し出に対し1年間の有給休暇の後に復帰する提案をされる程だった。しかし、帰国を果たした彼は二度とロシアに戻ることはなかった。母国イタリアでまともな職を得たのである。当時のロシアとは、西欧の音楽家にとってそんなものでしかなかったのだろう。


こうした西欧化の方針の末、初めての国際的な作曲家としてグリンカが登場するのは、19世紀まで待たなければならなかった。この頃になると、農奴に対しても収奪をするだけではなく合唱や器楽合奏をさせたりする貴族も少なくなかった。グリンカは、叔父が農奴のオーケストラを所有していたので、管弦楽に親しむ機会にも恵まれ、音楽的な環境の中で育った。


欧化政策から約1世紀を経て活躍するチャイコフスキーはその次世代で、子供の頃からグリンカのオペラの上演に感動したりして育った。また、チャイコフスキーはペテルブルグ音楽院最初の卒業生で、初めてロシアにおいてアカデミックな教育を受けた音楽家となった。自国で世界的な音楽家を養成する教育機関が出来た。チャイコフスキーはこうした急速な近代化の中で誕生した作曲家であった。この時代の流れはそこで止まることはなく、やがてロシア革命に至る。

 

次記事第9回 フィンランドの出発点 〜スウェーデン支配によるキリスト教化〜

 

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【チャイコフスキーとシベリウスが生まれた国  〜ロシアとフィンランドの基礎知識〜】 

はじめに

第1回 隣近所のロシアとフィンランド 〜音楽の中心地ヨーロッパは遠く〜

第2回 ロシアの出発点 〜キリスト教を取り入れて〜

第3回 ヨーロッパと分かれていくロシア

第4回 宗教芸術の違い 〜芸術として発信するか否か〜

第5回 東方正教の宗教芸術 〜美術的価値尺度で発信をしない〜

第6回 東方正教の音楽 〜楽器使用の禁止、声楽だけ〜

第7回 ロシアの鐘 〜日本で一般的にイメージする「教会の鐘」と異なるトレズヴォン〜

第8回 西欧音楽の伝来 〜グリンカを経てチャイコフスキーへ〜

第9回 フィンランドの出発点 〜スウェーデン支配によるキリスト教化〜

第10回 フィンランドを巡る戦い 〜シベリウスの時代に至るまで〜

第11回:最終回 フィンランド人の民族意識 〜シベリウスも題材にした 叙事詩「カレワラ」〜