多摩管弦楽団第46回定期演奏会では

前半2曲演奏後、休憩をはさんで、チャイコフスキー《交響曲第5番》を演奏します。

 

常任指揮者・高橋俊之による解説【チャイコフスキー:交響曲第5番】

 

チャイコフスキーは交響曲に標題を付けたがらない。彼が交響曲第4番を作曲中にパトロンのナデジダ・フォン・メックに宛てた手紙で「この交響曲に標題があるのかどうかおたずねですね。交響曲の作品についてこの質問を受けたとき、ふつう私は、全然ありません、と答えることにしています。」と書いている。素人女性に自分の思いを丁寧に説明している様子が伺える文面である。

 

また彼は、交響曲第6番でさえも「悲愴」と名付けた弟モデストに「うまい!」とはいったものの、出版社ユルゲンソンへの手紙では、何も標題を付けないように指示している。このような作曲家は多くベートーヴェンなども同じで、それぞれの人が自由にイメージを持ってほしいので、比喩を使ってそれを固定したくないと言っている。しかし、周囲のなまくらな音楽通がどうしても言葉に置き換えたがってしまい、元々誣(ふ)言(げん)の多いシンドラーが、ハ短調交響曲についてベートーヴェンが「運命が扉を叩くと語った」という胡散臭いエピソードを残してしまった例もある。


ナデジダ・フォン・メックの気持ちもわからないわけではないが、この交響曲第5番も標題がなく、立派な純音楽である。しかし、音符のストーリーはある。ストーリーと言っても文学のように難しいことではなく、譜例の節だけ覚えればこの交響曲の構造が楽しめる。

 

譜例:全体の主題

 

この節は曲の最初に出てくるが、第1楽章のテーマというわけではない。この交響曲全体に何度も現れ支配しているものである。この全体の主題は、ロシア民謡にもロシア聖歌にもありそうな真面目な節回しだ。


第1楽章では序奏がこの全体の主題を弱音で始める。主部に入るとポーランド民謡とも言われているリズミカルな主題が現れる。これこそが第1楽章の第1主題である。もし、短調か長調かが聴きとれるとより面白い。この第1主題が短調であり、途中で長調になったところが第2主題だ。交響曲の第1楽章は昔からの慣わしで、どうしてもソナタ形式という窮屈な起承転結に沿って進められることになっている。


第2楽章はゆっくりしたオペラアリアのような雰囲気の楽章である。最初のホルンの旋律が色々なパートに現れる。ところが、このムードを断ち切り戒めるかのように譜例の全体の主題が金管楽器に現れる。ここでは、ティンパニのトレモロを伴いffで鳴り響く。そういった戒めが楽章中に二度おこる。


第3楽章は西ヨーロッパへの憧れを感じるような、優美なワルツである。楽章の最後に少しだけ全体の主題が出てくる。今度は劇的ではなく、ワルツにまぎれてこっそり登場する。聞き逃してしまったとしても不思議ではない。


第4楽章の冒頭から全体の主題で始まりこれがイントロダクションになる。主部に入ると、この楽章の主題が登場する。アレグロの速い楽想だが、ロシア特有の多声部合唱のようなハーモニーを有している。全曲の最後に全体の主題を高々と奏でる。単純な四分音符を連打する伴奏はロシア正教のトレズヴォンのようであり、旋律も讃美歌のように聞こえる。

多摩管弦楽団第46回定期演奏会では

2曲目にシベリウス《ヴァイオリン協奏曲》を演奏します。

 

常任指揮者・高橋俊之による解説【シベリウス:ヴァイオリン協奏曲】

 

シベリウスは7曲の交響曲と交響詩を含む数多くの管弦楽曲を残しているが、協奏曲はこの一曲だけである。

 

この協奏曲も春の歌と同様に改訂されている。初稿は1903年に完成し初演もなされた。2年後の1905年に改訂稿が発表され、ベルリンにおいてカルル・ハリールの独奏、リヒャルト・シュトラウスの指揮よって初演された。


ベルリンに滞在していたシベリウスはこの協奏曲を改訂しようと考えていたところ、ブラームスのヴァイオリン協奏曲を聴く機会があった。これに対し「とても素晴らしい作品だ。しかし、あまりにもシンフォニック過ぎる。」と妻アイノへの手紙で感想を述べている。とはいったものの、シベリウス自身の協奏曲の改定は、カデンツァなどのヴィルトゥオーゾ的なパッセージを数多く削るなど、むしろブラームスのものに近づいたようにも思われる。


この曲はヴァイオリン協奏曲としては、オーケストラの編成が大きく、それまでの、正統な協奏曲においてはトローンボーンが用いられることはなかった。しかし、シベリウスの音楽は大編成を用いても静寂を作り上げる所に特徴がある。冒頭のオーケストラの伴奏も、それがあることにより、無音よりもむしろ静かな雰囲気が作られていて、丁度、人気のない所でソロヴァイオリンが弾き始めたような情景が映し出される。


全曲の構成は至って正統的な協奏曲のスタイルを踏襲している。第1楽章はソナタ形式で、第一提示部こそないが、展開部には壮大なオーケストラの件があり、カデンツァが楽章の中央にある点なども含め、形式的にはチャイコフスキーのものと酷似している。第2楽章はゆっくりした3部形式で、第3楽章がロンド風なのも古くからの書法である。そうしたスタイルを守りながらも、暗闇の中か森の中のような人の気配を感じさせない所で、旋律が聞こえてくるような場面が現れるのがシベリウスの特徴である。もちろんフル編成の豊麗な響きをつくるところもあるが、そういう場合にも激情的な表現にはならない。


彼の最初の作品といわれている「水滴」JS216という曲がある。子供の頃のもので24小節程の曲であるが、ヴァイオリンとチェロの2重奏で、すべてがピッチカートで出来ていて、水滴の様子がよく表現されている。元々こうした情景を描写することが得意で、作曲家になってからも彼の大きな個性の一つとなった。

 

 ≫参考動画 【水滴】

 

このような優れた音感が感じられる部分がある一方で、ニューグローブ世界音楽大事典でも指摘されているように、シベリウスの作品の中には、愛好家からしか評価されないような作品も少なくない。しかし、この協奏曲は世界的に愛されており、ヴァイオリニストのレパートリーとしてもなくてはならない曲である。


先人からの協奏曲という書式の中からも、シベリウス特有の情景が描かれている。

多摩管弦楽団第46回定期演奏会で 1曲目に演奏するシベリウス《春の歌》。

 

初めて聴く方もそうでないかたも、

少しでも親しみを増して聴いていただけますと幸いです。

 

常任指揮者・高橋俊之による解説【シベリウス:春の歌】

 

この曲は1894年「即興曲」として作曲されたが、あまり評判が良くなく、翌年大幅に手を入れてこの「春の歌」というタイトルでリニューアルした。


フィンランドは同緯度に位置する他の国よりは幾分温暖だといわれている。それでも、冬は日本や西ヨーロッパなどよりもかなり厳しい。日照時間が短く、南部であっても10月末頃から約5か月間、40僂曚廟僂發辰神磴紡臙呂閉ざされる。春の始まりというのはまだまだ厳しい冬の延長線上でしかないが、大きな樹木の周りにほんの少し土が見えてくる。

 

北国の人々は、完璧に大地を支配していた雪が見せた隙を見逃さず、春の訪れを期待する。


この曲の冒頭も、ようやく厳しい冬がほころんだところから始まる。少しずつではあるが、後戻りをせずに春に移り行く流れが感じられる。やがて、冬の間に止まっていた世の中のあらゆるものが、取り戻した日差しの下に徐々に動き出していく。春の動きが積み重なり、賑わい、冬は遠のいていく。

 

クライマックスは春の象徴である復活祭の鐘が鳴り渡る。復活祭(イースター)はキリスト教の最大の祝日で、春分の日を過ぎた最初の満月に最も近い日曜日と定められている。今年は4月1日であったが、来年は4月21日である。キリスト教徒の多いヨーロッパの人々なら、春の場面で鐘の音が鳴れば、疑いなく復活祭を連想するはずである。
 

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